欅坂46 4thシングル「不協和音」MV感想 あばたもえくぼ
欅坂46の4thシングル「不協和音」のMVが公開されました
1stシングルの「サイレントマジョリティー」はデビュー曲からとんでもないもの持ってきたなという感じ
1作目の完成度の高さでハードルがあがった所に2ndシングル「世界には愛しかない」でポエトリーリーディング 面白い
3rdシングル「二人セゾン」は優雅にハードルを飛び越えてきたなという印象
そして、ハードルが上がるところまで上がりきったところでの4thシングル「不協和音」
まずタイトルを聴いた時点で「やられた!」と思いました
3作目まで手を変え品を変えやってきたところでもう新しい引き出しは見つからないだろうと思っていましたが、「不協和音」というタイトルは良い着眼点だなと
否が応でも期待が高まります
ラジオでの初解禁を正座して待って聴きましたが
んんっ?どうなんだこれは
良くも悪くもない
タイトルで期待したのに不協和音が曲中で使われてるわけでもない
歌詞は「サイレントマジョリティー」の焼き直し
嫌いなわけじゃないけど、遂にハードルを倒してしまったなと思い批判記事でも書こうかと思いましたが年度末で忙しく放置していました
そうこうしているうちに先日MVが公開
ああ、なるほどね
いろいろと思う所はありますが、まず日本と世界のアイドル文化の違いについて私なりの考えを書いておきます
世界中にアイドルは存在しますが、日本と世界ではその在り方はかなり違います
比較的なじみのある韓国を例にあげると、韓国のアイドルはスタイル、パフォーマンス、歌唱力全てを兼ね備えた完璧さを求められます
一方、日本のアイドルには完璧さは求められません
AKB48は「クラスで3番目にかわいい子」を集めたと言われてるし(事実ではないらしいけど)、私立恵比寿中学は「キレのないダンスと不安定な歌唱力」をキャッチフレーズにしています
欅坂46の先輩グループである乃木坂46も一見ルックスは完璧に見えて、歌が下手だったり、運動が苦手だったり、頭が大きいという欠点を持つメンバーもいます
日本のアイドル文化はこうした欠点を魅力ととらえる「あばたもえくぼ」という考えが根底にある所が世界との大きな違いなのではないかと
で、「不協和音」の感想に戻りますがこの楽曲には「あばた=不協和音」が満ち溢れています
一番わかりやすい所でいくと長濱ねるの「僕は嫌だっ!」
曲の雰囲気にも全くあっていません
恐らく欅坂46のメンバーの中で一番セリフとミスマッチな声質ではないかと思います
逆オーディションでもしたのかも知れません
ダンスもダサいという意見が結構見られます
個人的にはオールブラックスのハカみたいで嫌いじゃないんですが、MVの段階では確かに動きにバラつきがあったり粗が見えます
動きのバラつきは難しいダンスですので単なる実力不足の部分もあるかと思いますが、守屋茜に微妙に違う行進をさせたり確実に意図的な部分もあります
あと、凄く個人的な不協和音としてフロントのはずの長沢菜々香の扱いが余りにもひどいという点もあります
石森虹花が3列目であることに対して軽く発狂して「石森虹花への不当な扱いを許さない市民の会」 を結成しましたが、今回石森虹花は結構目立ってるんですよね
「石森虹花への不当な扱いを許さない市民の会」を解散して「長沢菜々香への不当な扱いを許さない市民の会」略してなー会の結成を検討します
意味
だらだら書いてしまったのでもうやめますが、MVを見てると「不協和音」には様々な不協和音が見えてきます
音楽的に不協和音を用いるのではなく、歌割や動きやメタ的な視点でも不協和音を表現してあばたを好む日本人の心に引っ掛かりを作ろうとしているのではないかと思います
「不協和音」を聴いてちょっとでも批判的な気持ちを持った人は制作サイドの掌の上なのかも知れませんよ
最後に
普段このブログ読んでくれてる人は「あれっ?何かこの記事いつにも増して読みにくくね?」と思ったんじゃないでしょうか
そう、これもまた不協和音なんです
め、めんどくさくなって校正しない言い訳ではありませんからね!
以上、おわりー
ばいばいばーい
いぇーでぃすこーど